佃島(佃嶋)と月島の歴史

現在の東京都中央区佃一丁目辺りが佃島で、今は佃島と月島は一体化していますが、佃島自体はそもそもあった島を埋め立てて拡張した島です。
一方、月島は人口の島で、明治20年から行われていた浚渫(しゅんせつ)工事と、その結果生じた多量の土砂を処分するために、埋め立てを考えその結果出来た人口島です。

佃島と月島の近辺図

佃島の石川島公園内にあった看板と利用し橋、河川、公園等の位置を説明します。 佃島と月島の近辺図

佃島

佃島の名前の由来は、江戸幕府に由来します。
それは、将軍に献上する魚を取るために、摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区近く)の名主森孫右衛門とともに江戸に下った33人の漁師たちが住んだ島であることから、佃島と呼ばれるようになったとの事です。

佃煮もこの佃島から生み出された魚の煮物のことで、摂津国西成郡佃村に行った徳川家康が、漁民の保存食である魚の煮物を気に入って佃島に集団移住させ、「佃煮」を作らせたといった説もあります。

この佃島には、江戸末期水戸藩が佃島に石川島造船所を創設し、石川島造船所は石川島重工業株式会社、石川島播磨重工業株式会社と変化し、工場移転後の地に高層マンション群大川端リバーシティ21が立ち現在に至っています。

この様に佃島は大きな時代流れの中にあり、歴史と現代が交差する不思議な雰囲気を醸し出す東京の観光スポット、オアシスでもあります。

月島

月島は隅田川の川底に堆積する土砂が船の運航に支障をきたしていたので、浚渫工事を行いましたが、その際に発生した土砂の処分のために生じた島です。明治25年に月島、明治27年にかちどき、明治29年に中央区佃二丁目辺りの新佃島、昭和38年に豊海町が完成しています。

月島は江戸時代には存在しません。1892年(明治25年)の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」で出来た人口島です。
現在の月島一丁目から月島四丁目までが月島1号地で、月島2・3号地は勝どき、月島4号地は晴海です。

月島の名前の由来は、江戸時代、徳川家康により「月の岬」と称されたいう月見の名所があったそうで、これに因んでいるそうです。
月の岬は、三田4丁目あたりで現在は丘ですが、江戸時代は岬だったんですね。東京湾の地図を見ると、埋立地がなんとなくわかりまね。

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