相生橋

相生橋 相生橋は晴海運河(隅田川)の橋で清澄通りです。

相生橋は1903年(明治36年)3月に作られています。それまで佃島や月島にいくには佃島渡船碑があるように渡船で行っていました。相生橋は月島側へ水道を渡す目的もあったそうです。
当時の相生橋は、現在の中の島公園を挟んで二橋で構成されていました。それは、「相生大橋」(147メートル)と「相生小橋」(53メートル)です。
しかし、2ヵ月後の9月1日の関東大震災で上流から流れてきた炎上した船が相生橋に衝突して相生橋も、炎上し焼失してしまします。
この事故で、月島は再び孤島となりましたが、1926年(大正15年) に震災復興事業として再架橋されています。
その後、交通量の増加で1998年(平成10年)12月に再架橋され現在にいたっています。

相生橋 中の島公園側から見た相生橋

相生橋の名称由来

相生とは、2本以上の木が同じ根から生え出ていることで、相生の松は黒松と赤松が一つの根から生え出た松です。
相生橋は中の島を挟んで相生大橋と相生小橋で構成されますが、この2橋あることから相生であるから、相生橋と名づけられたそうです。

もう一つの由来は「上流の永代橋に相対する橋」がありますが、これは東京都建設局の相生橋の案内板に書かれていますから、強力な根拠となりますが、「永代橋に相対する」から「相生橋」より、「2橋あることから相生」を支持したい。まあ、色々な意味をもって名づけられたのでしょう。

相生橋の案内板 東京都建設局

相生橋の案内板 上写真は相生橋の案内板。
西岸(左側)は中央区佃二丁目と三丁目、東岸(右側)は江東区越中島一丁目と二丁目となっています。白い楕円形は中の島公園。

相生橋の案内板の内容
相生橋は、隅田川派川に架かる橋で、上流の永代橋に相対する橋として名付けられた。
形式は、大正8年に市電を通すため改築した先々代の橋の姿にならいトラス橋としました。
トラス橋は、細長い部材を三角形に組み立てて橋桁とした橋です。
新しい相生橋は、隅田川や中の島公園とともに多くの人々の憩いの場として親しまれるように整備しまし。
橋の長さは149.1m、幅員36.8mです。
平成10年(1998)12月19日に全線開通しました。

相生橋の碑

相生橋の碑

佃島が埋め立てられて月島となって、人々が住む町が開けるとともに、交通の便や、水道が必要になった。
そこでまず、深川との間にこの相生橋が架けられた。明治36年(1903)のことであった。
その後改修され、中の島で、大橋と小橋とに分かれるようになった。隅田川が、ここで左右に、大きく分岐するところの左側にあたっていて、川が湾曲するするため、上流から流れてきたものが滞留したところである。関東大震災の時も、今次の大戦の空襲のあとにも、様々な物が山のように集まった。
ことに震災の時までは木橋であったため、橋も延焼した。現在の橋は、大正15年(1926)11月に、震災復興事業の最初の架橋として完成した。

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