五世川柳・水谷禄亭碑

五世川柳・水谷禄亭碑は住吉神社にあります。
五世川柳・水谷禄亭碑って何だ?の方にあえて説明しますと、5代目の川柳師匠の水谷緑亭(みずたにりょくてい)さんの碑のことです。

五世川柳・水谷禄亭碑 和(やわ)らかで かたく持ちたし 人ごころ

川柳ってなんだ?

川柳は江戸中期に発生した文芸で、俳句と同じく五・七・五の十七音で構成されます。
この川柳は、俳諧の修練のひとつであった前句附が独立したもので、川柳には季語、切れ字、文語などの制約はなく、風刺や批評といった部分が大事な要素です。簡単に言うと俳句、自然を対象とし、川柳は世相が対象で風刺や批評といった視点がポイントです。

前句附の点者(宗匠とか選定者)であった柄井川柳さんが、他の前句附点者よりも面白く人気が出て川柳さんが点(選定)した句は、「川柳点」と呼ばれるようになり、後にこの文芸自体を川柳と言う様になった訳です。

川柳の初代は柄井川柳で、二世は長男、三世は三男、四世以降は流石に柄井家から継承者が出なかったので様々な人が継いでいます。現在(2009年)は十五世川柳・鮮紅亭/苦川/未完子(本名、脇屋 保さん)です。

五世川柳 水谷緑亭

五世川柳 水谷緑亭の説明プレート

五世川柳 水谷緑亭句碑
所在地 中央区佃一丁目一番十四号
水谷緑亭(一七八七〜一八五八)は、南茅場町(現在の日本橋茅場町一丁目)に生まれ、本名を金蔵といいました。
幼い時に父を亡くし、佃島の漁師太平次に養われ、佃島の名主をつとめたと伝えられています。
また、養父母に孝養を尽くし、佃島の風俗を矯正した功績などにより、町奉行所から三度にわたり褒賞を受けました。
文化年間(一八〇四〜一八一八)初めに二世川柳柄井弥惣右衛門の門に入り、川柳を学び、腥斎佃(なまぐさいたつくり)と号しています。
二世没後は四世川柳人見周助に学び、天保八年(一八三七)5五十歳の時に五世川柳を継承しました。
五世嗣号の翌年には、初世川柳以来続いた『誹風柳多留』が167編で刊行を終えますが、天保一二年から『新編柳多留』を刊行し、嘉永二 年(一八四九)の終刊まで五五編を数えました。
緑亭は、この間に川柳の式法を作り、晩年に「柳風狂句」と名付けています。
編著には『狂句百味筆筍』をはじめ『住吉社奉額狂句会』等があります。
文筆業に長じ、川柳とは別に著作も多く、『遊仙沓春雨草紙』『祥瑞白菊物語』などの草双紙や、『俳人百家撰』などの伝記物等も著しています。
この句碑は、昭和41年(1966)11月に佃の人々によって建立されたもので、「和やかで かたく持ちたし 人ごころ」と緑亭の句が刻まれています。
平成九年三月
中央区教育委員会

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