佃島渡船碑

佃島と対岸の佃大橋西詰め付近との間を通ったのが、佃の渡しで昭和37年7月には一日70往復あったのですが、昭和39年8月佃大橋完成で廃止となっています。佃島渡船は大正15年東京市の運営に移り、昭和2年3月、無賃の曳船渡船となり、この時に建てられた碑です。

佃島渡船碑 佃島渡船碑

佃島渡船碑の説明 徳川家と佃島漁民の関係、佃島の成り立ち、石川島の灯台のことを解説した案内板。

佃島渡船場跡

佃島渡船場跡
所在地 中央区佃一丁目−二−一〇・湊三丁目−十八番先〜
佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲である。
徳川初代将軍家康の時、摂津国佃村(大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住わせたところという。
この島と対岸の佃大橋西詰付近との間を通ったのが佃の渡しである。
明治9年7月には、渡し銭1人5厘の掲示札の下付を願い出ている。
大正15年東京市の運営に移り、昭和2年3月、無賃の曳船渡船となった。
この石碑は、この時に建てられたものである。
昭和30年7月には1日70往復となったが、同39年8月、佃大橋の完成によっ 平成十三年三月
中央区教育委員会

北条秀司 句碑

北条秀司 句碑 佃島渡船跡の碑の近くにある「北条秀司 句碑」はねじれた様なユニークな形の碑。

北条秀司の説明 劇作家北条秀司は佃島が好きであった。
新派俳優花柳章太郎も佃島が好きであった。
二人はたえず連れ立って、佃島を歩き、大川の渡船を楽しんだ。
その結晶として、「佃の渡し」の芝居作りを企画した。
それが昭和三十二年十二月の新橋演舞場に脚光を浴び、劇団新派の財産を一つ殖やし、北条秀司の代表作をまた一つ世に残すことになった。

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